資さんうどんの歴史

受け継がれる「出汁」のこだわり

受け継がれる「出汁」のこだわり

資さんうどんの味の根幹は、創業者・大西章資が創業当初から大切にしてきた「出汁」にある。
その出汁づくりのパートナーとなったのが、1939年(昭和14年)広島県福山市で創業し、のちに戸畑市(現在の北九州市戸畑区)へと拠点を移した削り節の製造元「マルカの花かつお 樫本商店」だ。大西と樫本商店の子息・樫本一男は同級生という縁があり、折に触れて工場を訪れるなど交流を深めていった。
知人からうどん店を引き継いだ大西は、「店内に良い出汁が香る、最高の一杯をお客さまに届けたい」と、樫本商店と共に試作を重ね、「出汁」の要となる鯖節と鰹節の配合を完成させた。
1976年(昭和51年)の1号店開業後も、樫本商店から安定した削り節の供給を受けながら、時代のニーズに合わせて「美味しさ」をさらに磨き上げていった。この二人三脚で築いた信頼関係こそが、長く愛される資さんの味の土台となったのだ。
2008年(平成20年)、さらなる広域展開を見据えて新たな取引業者を迎え、削り節の供給体制を再構築。その際も新旧両者が味の伝承に取り組んだ。資さんと共に約40年にわたって出汁の味を育ててきた樫本商店は2017年(平成29年)に閉業したが、その役割と味へのこだわりは今日も、大切に受け継がれている。

一枝本店

一枝本店

1976年(昭和51年)1月、戸畑区一枝に本社兼自家製麺を作るための工場をつくり、自社で麺づくりを開始。その隣に「さぬきやうどん」本店を開店した。表面はなめらかで中はもちもちの食感が人気の「資さんうどん」の「うどん麺」の原型が出来上がったのはこの時期である。「さぬきやうどん」の屋号をつけたものの、「もっといい店名はないものか」と悩んでいた大西。「この味だ」と納得するものができたら自身の名前を屋号に入れたい、と考えていたからだ。従業員に相談したところ、その時一人が発した「資さん」というワードにピンときた大西は、九工大前に店を出すときに「資さん1号店」と命名。のちに一枝にあった「さぬきやうどん本店」も「資さん一枝店」に名称変更した。

店舗拡大・会社設立

店舗拡大・会社設立

「資さんうどん」は評判を呼び、店舗数を増やし、会社設立の運びとなった。会社設立にあたり、「資さんうどん」を象徴するロゴを作成。現在も使用している「資」を井形で囲んだロゴは、創業当初から店を支え、「資さんうどん」の味づくりにも力を貸してくれたベテラン従業員・井藤さんに感謝を込めて、井藤さんの「井」の字と資さんの「資」を組み合わせ、誕生した。

肉ごぼ天うどん

肉ごぼ天うどん

資さんうどんの不動の人気メニュー「肉ごぼ天うどん」。 甘辛く炊き上げた牛肉と、サクサクで歯切れの良いスティックタイプのごぼ天。その両方を盛り付けた、おいしさとボリュームを兼ね備えた満足感あふれる一杯だ。
このメニューは、お客様の「声」から生まれた。 もともとは「肉うどん」と「ごぼ天うどん」は別々のメニューだったが、ある時、常連のお客様から「肉うどんに、ごぼ天ものせてくれないか」というリクエストをいただいたのが始まり。その一杯が運ばれると、他のテーブルからも「自分ものせてほしい」と次々に声が上がり、いつしか「肉うどんにごぼ天のせ」が知る人ぞ知る人気メニューとなった。
誰もが気兼ねなくこの味を楽しめるよう、2012年に正式にメニュー化。 「お客様に心ゆくまで満足していただき、お腹いっぱいになって帰ってほしい」と常に語っていた大西の想いを具現化したようなこの一杯は、今や北九州を越え、日本中の多くのお客様に愛される「資さんの顔」となっている。

北九州から地域拡大

北九州から地域拡大

2009年(平成21年)から、下関市、福岡都市圏、福岡市に出店を開始。福岡に進出する際、博多うどんの味に合わせたほうが良いという意見もあったが、大西は、これまでお客さまからご支持頂いていた「資さんうどん」の味を貫いた。その結果、北九州以外の地域でも徐々に味が浸透し、他地域の皆さまにも受け入れられるようになった。その後、2018年に佐賀県に進出したことを皮切りに、九州各県や中国地方にも店舗を構え、2023年には大阪府に進出。2024年には関東にも進出を果たした。各地域にはそれぞれの「うどん文化」があり、親しまれている味がある。しかし、大西の「資さんの味で勝負する」というその確固たる意志は今も受け継がれ、今や北九州を越え、日本各地の多くのお客様に「資さんうどん」の味は愛され、広がり続けている。